へいわもにゅめんとげんばくきゅうえんれっしゃ 平和モニュメント(原爆救援列車:長与駅)
二度と核兵器による惨禍が繰り返されないことを願って
原爆救援列車とは、1945年(昭和20年)8月9日の原子爆弾投下直後、現在のJR長与駅を出発した計4本の列車です。
運輸省門司鉄道管理局長崎管理部により運行計画が立てられ、正午過ぎに最初の救援列車が出発しました。
救援列車は、爆心地から1.4kmほど離れた、道ノ尾駅と浦上駅の中間にある昭圓寺(しょうえんじ)付近でこれ以上進むことが難しくなり、そこで負傷者を収容し、諫早へと向かいました。
長与駅で被災した上り列車が9日最終の救援列車として運行するなど、8月9日に4本の救援列車が奔走し、およそ3,500人の負傷者が諫早、大村、川棚の各海軍病院などへ運ばれました。
直径約1.8メートルのこの一対の車輪は、平和学習への活用や原爆救援列車の活躍を後世に伝えるとともに、二度とこのような惨禍が繰り返されないことを願って設置されました。
- エリア
- 長崎市外
- カテゴリー
- 平和
- 旅のテーマ
- 平和を学ぶ
基本情報
住所 | 〒851-2126 長崎県西彼杵郡長与町吉無田郷275 |
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