おおうらこくさいぼち 大浦国際墓地

長崎の国際墓地の歴史はほぼ4世紀の長きにわたっています。

1858年来航したロシア艦船にコレラが発生し、当時中国人墓地やオランダ人墓地のあった稲佐の悟真寺にロシア海軍墓地が設けられました。しかし、居留地から悟真寺まで不便だったため、1861年に外国人居留地に隣接する川上町に大浦国際墓地が設けられました。

この墓地の埋葬者は、長崎港に停泊中死亡したアメリカ人水兵が圧倒的に多いのですが、1867年に丸山花月の門前で福岡藩士に斬られ、日英の外交問題にまで発展した「英国人水夫殺害(イカルス号)事件」の乗組員、ロバート・フォードとジョン・ハッチングスの墓もあります。

墓地は1888年に閉鎖されましたが、同年に開設された坂本国際墓地には、長崎に長い間にわたって滞在した外国人夫婦や子供が多く眠り、また『長崎の鐘』の著者である永井隆医学博士の墓もあります。

この3ヶ所の国際墓地には中国人、オランダ人、ロシア人、イギリス人、アメリカ人など20ヶ国1,500人を超える人々が眠りについています。これらの人々の墓標は、海外との交流に栄えた長崎の多彩な歴史を静かに語りかけているのです。

エリア
長崎市中心市街地エリア(平和公園・稲佐山・グラバー園など)
カテゴリー
歴史・文化財
旅のテーマ
和華蘭文化にふれる

もっと詳しく知ろう! 大浦国際墓地

  • 大浦国際墓地に眠る人々-0

    ユージェーン・ピナテールの墓石

    大浦国際墓地に眠る人々

    中国や日本の港町を巡業していた劇団のイタリア人オペラ歌手や、丸山の花街に遊びに行き酔っぱらい、坂で寝てしまったところで誰かに刀で殺されてしまった水兵など、大浦国際墓地には定住ではなく長崎を往来しただけの外国人が眠っているのが特徴。
    しかし、なかには居留地に定住し、居留地時代の長崎で活躍した人物も多くいます。
    トーマス・B・グラバーのパートナーであったスコットランド生まれのケネス・R・マッケンジーや日本の英国聖公会(英国教会)のハーバード・モンドレル大執事の妻で出島の「聖公会出島神学校」創設者であるモンドレル女史、大浦天主堂創建の資材を輸入したフランス人実業家ユージェーン・ピナテールなどがそうです。墓域に入るとモンドレル女史の花十字型の墓碑やユージェーン・ピナテールのゆっくり休むようにという意味のベッド型の墓石が特に目をひきます。

基本情報

住所 〒850-0946 長崎県長崎市川上町
電話番号 095-829-1127(長崎市財産活用課)
FAX番号 095-829-1248
営業時間 8:00~18:00
交通アクセス 長崎駅前から路面電車「崇福寺」行で「新地中華街」乗り換え「石橋」行で「石橋」下車、徒歩約7分
JR長崎駅前東口からバス「田上大平橋」行で「川上町」下車、徒歩約2分
リンクURL 長崎Webマガジン「ナガジン」
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