長崎を歩けば坂道にぶつかる。こんな言葉が周知の事実としてあるように、平地の少ない長崎市には毎朝毎夕、坂道を上り下りして暮らしている人が多くいます。平らな土地を公共施設や商店などが占める長崎市内には、平地に栄えた市街地を取り囲むように四方八方、山が連なるすり鉢状の地形が広がり、長崎に住みはじめた先人たちが高台にまで山を切り開いて開発。その結果、住宅は山の斜面にへばりつくように建てられ、高台に続く坂道が少しずつ整備されていった……“坂のまち”長崎市には江戸時代から続く先人たちの暮らしの歴史があります。言葉を変えるなら、長崎市民の暮らしに寄り添う坂道には、過去にその場所で起こった出来事、愛着を込めた愛称など、多くの物語があります。長崎に坂あり、坂に古の物語あり。こんな視点で旅の道中、ちょっとだけ健脚をふるってみませんか?
オランダ坂
長崎の坂といえば「オランダ坂」。新地中華街から向かって東山手の入口あたりに位置するのが、広く世に知られる「オランダ坂」です。東山手甲十三番館や活水女子大学に挟まれ、目印は坂のふもとにある大きな「オランダ坂」の石碑。外国人居留地の名残で異国情緒あふれる石畳の坂道が旅気分を盛り上げてくれる坂道です。
江戸時代、日本で唯一西洋との貿易を行っていた長崎では、出島に住むオランダ人の影響か、開国後も東洋人以外の人を「オランダさん」と総称していた歴史があり、「オランダさんが通る坂」という理由から外国人居留地にある坂を「オランダ坂」と呼ばれるようになったそう。
じつは、この他にも長崎市内にはオランダ坂は存在します。前出の「オランダ坂」を東方面へ下っていくと、同じ名称の「オランダ坂」が。こちらは「東山手洋風住宅群」に沿った坂道です。広くみるとひとつの「オランダ坂」と言ってもいいのかもしれませんが、風情や勾配など雰囲気も違うので、ぜひ「もうひとつのオランダ坂」として楽しんでください。
他方、崇福寺前から電車通りに突き当たった丸山エリアにも「オランダ坂」はあります。こちらの名称は「丸山オランダ坂」。丸山へとつながる細い路地にあります。その由来は諸説あり、1つは「かつて居留地に住むオランダ人が西洋料理店〈福屋〉に向かう道だったこと」、もう1つは「鎖国時代、女性では唯一出入りを許されていた丸山遊女がオランダ屋敷へかよっていた道だったこと」。
2つの仮説ともに、静かな佇まいが広がる町並みにふさわしく、当時の情景が目に浮かぶはず。
もちろん、これは居留地が作られる以前の江戸時代のはなし。つまり、こちらの坂道が本家本元の「オランダ坂」と言えるのです。
祈念坂
大浦天主堂の路地裏に沿うようある「祈念坂」。明治初期頃に整備された石畳の道で、観光名所として人気の「祈りの三角ゾーン」を150mほど通りすぎた距離にあり、ひっそりと落ち着いた雰囲気を醸しだす、居留地時代の遺構が現存する歴史的価値のある坂道です。
映画『解夏』や『ペコロスの母に会いに行く』、アニメ『色づく世界の明日から』など、物語の舞台としても度々登場している有名スポットで、映画やアニメの聖地巡礼スポットとしても訪れる価値アリです。
坂のふもとには大浦諏訪神社(神社)、妙行寺(お寺)、大浦天主堂(教会)が隣接する「祈りの三角ゾーン」があり、坂を挟んで神社、寺、教会が対峙する珍しい情景に出会うこともできます。
作家の遠藤周作がこよなく愛した坂としても知られています。
喧嘩坂
長崎市の中心部にある「中央公園」のすぐ近く、長崎地方検察庁と長崎地方法務局の間にあるのが「喧嘩坂」と呼ばれている石段です。こちらは“長崎版忠臣蔵”とも呼ばれる「深堀事件」が起こった場所として知られています。
時は、元禄13年(1700年)、徳川5代将軍・綱吉の時代。この石段を歩いていた長崎会所の役人と佐賀鍋島藩深堀領の武士との間で、雪解けの泥がかかったことをきっかけに騒動が起こり、深堀藩士の討ち入りへとつながり双方に死者が出るまでに…。この事件は、赤穂浪士討ち入りの1年前に起こり、赤穂浪士はこの深堀藩士の行動をお手本にしたと伝えられています。
どんどん坂
南山手方面・グラバー園を過ぎ、南西へ5分ほど歩くと現れるのが「どんどん坂」。長崎市の「坂道景観13選」に選ばれた長崎港を一望できる異国の薫り漂う石畳の坂で、その両側には、美しい赤レンガ造りの「マリア園」や数軒の洋館が現存、外国人居留地の面影が色濃く残され、とてもエキゾチックな雰囲気です。
名前の由来は、雨が降ると「どんどん」と水が音をたてて流れていく様から、という説が有力です。古い石畳の脇には「三角溝」と呼ばれる溝があり、水流の速さを調節するために溝の形がU字形や三角形に掘られているのを見て取れます。雨の多い長崎ならではの工夫です。
この坂を上りきり、振り返ると、長崎港や世界遺産の構成資産のひとつ「ジャイアントカンチレバークレーン」などを望むことができます。
静かで落ち着く知る人ぞ知る穴場スポットで、夜景もゆっくり楽しむことができます。
相生地獄坂
路面電車「石橋電停」のすぐそば、グラバー園方面につながる坂、その名は「相生地獄坂」。ふもとに掲示されている看板には「223段・100Kcal(上り70Kcal/下り30Kcal)」と記されています。これを登坂すると考えると、なるほど地獄の名前にも納得。
この坂の南50mのところに世にも珍しい斜行エレベーター「グラバースカイロード」があります。こちらに乗って山頂のグラバー園第2ゲート近くまで上がっていくと、道中に丸窓から長崎の風景も楽しめるので、地獄への挑戦を避けたい方はグラバースカイロードを利用してみてください
長崎市民のとっておきVOICE
市民の声に耳を傾けてみたら、知らない長崎がこんなにあった。今年、あなたの知らない長崎へ行こう。
宇川 雅紀
ウエディングや成人式の撮影で祈念坂やどんどん坂へよく行きます。急勾配の坂(階段)を登り切ったところからの景色は格別。坂の頂上から写真を撮ると「長崎」が凝縮されています。祈念坂は世界遺産の大浦天主堂→長崎港→タワーマンション。どんどん坂は洋館→長崎港→三菱造船所。どちらの景色にも「長崎」の過去と未来が詰まっていて、「長崎」の歴史や歩みを目で見て感じることができます。これからもこの景色の中で変わるものと変わらないものがあり、どんな「長崎」になっていくのかを坂から見下ろすのも楽しみです。
UKAWA PHOTO/フォトスタジオ・フォトグラファー
宇川 雅紀
森 恭佑
長崎には坂の名所がたくさんあります。名前が付いているものもあれば、特に呼び名が無いものも。斜面地に住んでいれば、そんな名も無きお気に入りの坂(もしくは階段?)もいくつか思いつくようになりました。特に、何度見ても飽きないのは、グラバー園のスチイル記念学校の裏をくだっていく、木漏れ日のカーブ坂。忙しない朝の通勤時には港の青色が待っており、へとへとの帰り道にも景色が気を紛らわせてくれます。途中にあるポケットパークのベンチで読書している人・スケッチしている人を見ると、近所に住む者としては誇らしさがありますね。わざわざ行かなくても、毎日お出かけするだけで推しの坂を通れるのは、住人の特権です。あなたも、坂暮らし仲間の一員になりませんか?
ライター・つくる邸住人
森 恭佑
竹谷 浩美
坂の街に移り住んで半世紀、私は子供時代を過ごした家のすぐそばで、カフェを営んでいます。 ある日、かつてこの建物に住んでいたという人々が二組も訪ねてきました。思い出話をされる姿に、私自身の遠い記憶もよみがえります。五十年の間に若木は大木となり、窓から見える港は半分の大きさになりました。代わりに家々は山の頂上へと広がり、夜景はより魅力を増しました。眼下に見える宝石のような光も美しいですが、私は、眼前に広がる斜面地の夜景が好きです。人々の暮らしが感じられる大きな光の粒が大好きです。 丘の上のカフェには様々な人が訪れます。定年後、長崎に戻ってきたいという人、新しい暮らしに憧れ、移り住みたいという人。次にどんな人に出会えるのか、カフェを営む醍醐味です。
耕美庵 店主
竹谷 浩美