世界遺産「明治日本の産業革命遺産」って?
幕末から明治にかけて、たった半世紀で近代国家の仲間入りを果たした日本。
特に製鉄・製鋼、造船、石炭産業など重工業の成長は目覚ましく、そのプロセスを示す23の遺構が世界遺産に登録されています。
サムライたちが残した素晴らしい資産を訪ね、激動の時代へと想いを馳せる旅へ出かけましょう。
日本の産業革命ストーリー
〈近代化の背景と原動力〉
幕末に起こったアヘン戦争における清の敗北は、日本に大きな衝撃を与えました。
「大国清でも勝てない相手なら日本はひとたまりもない」と、各藩の侍たちは国防に危機感を募らせます。外国の脅威から日本を守る、という想いを原動力に、日本の近代化は急速に加速していきました。
〈開国と人材育成〉
蘭学書だけを頼りに試行錯誤を繰り返し産業化へ挑戦し続けていた藩士たちですが、開港して間もない長崎にやってきた貿易商グラバーと出会います。
グラバーの手助けを得た藩士たちは、国禁を犯してロンドン留学へ。世界をリードしてきたイギリスの産業を直接学び、その優れた技術を手にして日本に戻ってきます。
「長州ファイブ」「薩摩スチューデント」と呼ばれる彼らこそが、明治日本の近代化を先導する重要な人物となっていくのです。
〈非西洋諸国初の近代国家へ〉
一方グラバーは、石炭産業・紡績業など様々な分野で外国人技術者を呼び寄せます。
本格的な技術をイギリスから直接導入することで、日本の近代化は大きく加速しました。留学生の活躍に加え、西洋から積極的に技術を取り入れ実践と応用を繰り返し、産業革命が開花。
わずか50年で日本は産業化を成し遂げ、欧米列強に肩を並べる近代国家となったのです。
世界遺産としての価値
明治日本における産業化は、世界の歴史において特筆すべき出来事でした。鎖国政策で西洋科学に扉を閉ざしていた日本が積極的に西洋の技術と日本の伝統技術を融合させ、わずか半世紀で産業化を成し遂げたのです。
8県11市に分散した23の構成資産は、19世紀半ばから20世紀初頭にかけ急速に発展した重工業(製鉄・製鋼、造船、石炭産業)の導入プロセスと価値を示しています。
近代化と長崎
利便性が高く、古くから貿易の拠点として栄えてきた長崎港。幕末から明治にかけて、岩崎彌太郎が興した「三菱」と貿易商人トーマス・グラバーが要となり、造船業・石炭産業の礎を担いました。
グラバーは長州ファイブの留学を手助けするなど、人材育成にも大きく貢献。近代日本の先駆けとなった長崎には、23の構成資産のうち最多の8つが立地しています。
長崎市内の世界遺産登録スポットを巡ろう!
【長崎】軍艦島(端島炭坑)
険しく切り立った岸が島全体を囲い、コンクリートと無機質な建物で成る「端島(はしま)」。外観が軍艦「土佐」に似ていることから、「軍艦島」と呼ばれるようになりました。
端島炭坑は、三菱により本格的な近代炭鉱として開発が進められた海底炭鉱です。瑞島炭坑から採れる良質な石炭は、明治から昭和にかけて日本のエネルギー産業を支えました。最盛期には約5,300人もの人が島に住んでおり、人口密度は当時の東京都区部の約9倍!島には小中学校や映画館などの娯楽施設も揃っており、島民全体が家族のように生活していたといいます。
現在、軍艦島に上陸するにはツアーへの参加が必須!炭鉱ロマンの詰まった軍艦島は、日本の近代化を象徴する遺構として人気の観光スポットとなっています。
COLUMN
高島炭坑
軍艦島の隣に位置する高島炭坑は外国資本と外国技術が日本で初めて導入された炭坑で、こちらも構成資産のひとつに登録されています。
1868年、蒸気船の燃料として高まった石炭の需要を受け、佐賀藩とグラバーが共同経営を開始。イギリスから技師を招き、日本ではじめて蒸気機関を導入した「北渓井坑(ほっけいせいこう)」を開発しました。
【長崎】三菱長崎造船所 関連施設
幕末、オランダから技術者や資材を取り寄せ日本初の本格洋式工場「長崎製鐵所」が建設されました。官営が続いていましたが、1887年に三菱に払い下げ。「長崎造船所」として、多岐にわたる経営が行われました。わずか半世紀で東洋一の造船所に成長した、長崎造船所の関連施設をご紹介します。
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小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと)
外国船の修理を目的としてグラバーと薩摩藩士によって建設された、日本初の洋式ドックです。蒸気機関を動力とする曳揚げ装置を装備しており、その形状から「ソロバンドック」とも呼ばれています。
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第三船渠(だいさんせんきょ)
(写真提供:三菱重工㈱長崎造船所)
明治後期、崖を削り海を埋め立て5年の工事を経て建設された、当時としては東洋最大のドックです。建設当時の電気モーターと排水ポンプは100年以上経った今でも現役で稼働しています。※非公開 -
ジャイアント・カンチレバークレーン
日本で初めて建設されたハンマーヘッド型電動クレーン。現在も大型製品を出荷する際に活躍しています。スコットランドが輸出した最初の事例かつ稼働している世界最古のもので、長崎港のシンボルとしても人気です。※非公開
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旧木型場(現:長崎造船所史料館)
長崎造船所に現存する最も古い建物です。鋳物製品の鋳型を製造するための木型製作工場として建設されました。現在は「長崎造船所史料館」として一般公開されており、長崎造船所の歴史を伝えています。
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占勝閣(せんしょうかく)
(写真提供:三菱重工㈱長崎造船所)
第三船渠を見下ろす丘の上に建築された、木造2階建ての洋館。「風光景勝を占める」という意味で命名されました。今日まで迎賓館として使用されており、造船事業の重要な行事が執り行われてきた建物です。※非公開
【長崎】旧グラバー住宅
小菅修船場や高島炭坑の建設に携わり、日本の近代化に大きく貢献したトーマス・グラバーの住宅。ここでグラバーと息子が二代に渡って暮らしました。
国内に現存する最古の木造洋風建築で、当時の長崎造船所を一望する高台に建築されています。採光と風通しを意識した半円形の邸宅は開放的な雰囲気で、イギリスと日本の建築様式が融合した和洋折衷建築。現在は明治20年代の姿が復元されており、邸宅前に咲き誇る四季折々の花も美しい、人気の観光スポットです。
足を延ばして 長崎県外の構成資産一覧
長崎県外の構成資産も見に行こう!
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【萩(山口県)】萩反射炉
幕末、試作的に建設された反射炉の遺跡。結果としては成功しませんでしたが、試行錯誤しながら自力で西洋技術を取り入れようとした、産業化初期の段階の取り組みの様子を物語っています。
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【萩(山口県)】恵美須ヶ花造船所跡(えびすがはな ぞうせんじょあと)
幕府の要請により、萩藩が設けた造船所の遺跡です。洋式造船技術を得るため伊豆や長崎に技術者を派遣し、「丙辰丸(へいしんまる)」「庚申丸(こうしんまる)」の2隻の西洋式軍艦を建造しました。
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【萩(山口県)】大板山たたら製鉄遺跡
西洋の製鉄技術が導入される以前に利用された、日本の伝統的な製鉄方法「たたら製鉄」の遺跡です。幕末の西洋式軍艦建造に、当時の日本の在来技術が利用されたことを示しています。
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【萩(山口県)】萩城下町
幕末に産業化に取り組み、産業文化を形成していった萩。政治の中心となった萩城跡や身分ごとに居住区を分けた町割りなどは、当時の時代背景・封建社会の構造を表しています。
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【萩(山口県)】松下村塾
松田松陰が主宰した私塾である松下村塾は、当時の地域社会における人材育成の場でした。松陰の教えを受け継いだ多くの塾生が、後の日本の近代化・産業化の過程で重要な役割を担っています。
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【鹿児島】旧集成館
アヘン戦争後、欧米列強の脅威を察した島津斉彬が造った日本初の工場群。蘭書をもとに西洋技術の情報を得て、独学で反射炉や機械工場、紡績所などを建造しました。
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【鹿児島】寺山炭窯跡(てらやま すみがまあと)
集成館事業で必要な燃料の木炭を製造するため建設された炭窯の跡。木炭より高熱を発する白炭に適した木材が多い寺山は好立地で、3基の炭窯が築かれました。現在はそのうち1基が残っています。
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【鹿児島】関吉の疎水溝(せきよしの そすいこう)
集成館事業の初期段階では蒸気機関が研究段階だったため使用できず、水車動力が用いられました。新たに築かれた8kmの水路はたった8mの高低差しかなく、当時の高度な技術を証明しています。
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【韮山(静岡県)】韮山反射炉
アヘン戦争後、欧米列強に対抗する海防用の砲台建設に伴い、鉄製の大砲を鋳造するために造られた溶解炉です。実際に稼働した幕末の反射炉として国内で唯一現存するものになります。
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【釜石(岩手県)】橋野鉄鉱山
西洋式の高炉技術を導入し、橋野鉄鉱山で採掘された良質な鉄鉱石を原料に鉄の連続生産に成功しました。高炉跡のほか採掘場跡、運搬路跡など関連遺跡が存在し、総称して「橋野鉄鉱山」と呼ばれています。
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【佐賀】三重津海軍所跡(みえつ かいぐんしょあと)
(写真提供:佐賀県観光連盟)
幕末、佐賀藩の洋式海軍の拠点となった場所です。人材育成や蒸気船の建造、洋式船の操縦訓練などが行われました。当時洋式船の修理を行っていたドライドックは、現存する国内最古のものになっています。 -
【三池(福岡県・熊本県)】三池炭鉱、三池港
三池炭鉱は、高島炭坑に次ぎ日本で2番目に近代化された炭鉱です。地下水の多い三池炭鉱に最先端の排水システムを導入し、三池港の築港や鉄道の整備などインフラ整備を行いました。
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【三池(熊本県)】三角西港(みすみ にしこう)
明治三大築港のひとつ。オランダ人水理工師による設計と、日本の土木技術が見事に融合しています。現在も築港当時の姿を完全に留めており、明治における近代貿易港としての土地利用がよくわかる港です。
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【八幡(福岡県)】官営八幡製鐵所
鉄の需要が高まる中、国産の鉄鋼を製造すべく明治政府が国の威信をかけて建設した製鉄所。素材の大規模な増産体制を確立し、日本経済の礎を築きました。製鉄所の工場は今も使われているため非公開ですが、旧本事務所の外観を眺望スペースから見学することができます。
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【八幡(福岡県)】遠賀川水源地ポンプ室(おんがかわ すいげんち ぽんぷしつ)
鉄を作るのに必要な大量の水を送るため、水量の多い遠賀川の水を八幡製鐵所に送る施設としてつくられたレンガ造りの建物です。動力は蒸気から電気に変わりましたが、現在も稼働し続けています。
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COLUMN
世界遺産って?
世界遺産は、地球と人類の歴史によって生み出された、未来の世代に引き継いでいくべき宝です。人類共通の遺産として保護・保全するためにユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が採択した世界遺産条約に基づき登録され、「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」の3つに分けられます。