第1章 神秘の国をえがく『⽇本(ニッポン)』
東洋の神秘の国 ⽇本を解き明かす。シーボルトの⽣涯をかけても、ついに未完に終わった“天下の奇書”とは?
◆江⼾時代のジャパン・アーカイブ
【総合的⽇本研究の⼤型ミッションへ】
シーボルトは当初、⽇本の植物や動物などの⾃然科学コレクションの収集に集中していました。1825年、上層組織である東インド政庁から「⽇本⼈の宗教、道徳と習俗、法律、政治制度、農業、技芸と学術、⼿⼯業、租税と徴税制度、さらに国⼟の地理と地質、動物・植物・鉱物からの産物の博物学的叙述、歴史、暦年法」の情報収集を命じられたことから、シーボルトは⼤がかりな総合的⽇本研究を開始します。
これが⽇本のあらゆる事柄を網羅した⼤著『⽇本』制作の契機となります。
【天下の奇書『⽇本(ニッポン)』】
帰国したシーボルトは、滞在中に蓄えた知識と経験、膨⼤な⽇本コレクションに基づいて、著作三部作の制作に没頭します。著作『⽇本』には、⽇本の⾵景・⾵習・⼈物・産業・技術・⽂化・地図など多岐にわたる膨⼤な情報が⽂章だけではなく、367 図版にわたる絵画のビジュアルでも表現されていたため、ヨーロッパの⼈々も未知の国 ⽇本を容易にイメージすることができました。
1832 年から20 年の分冊配本、最終的な出版中断により“未完の⼤著”、“天下の奇書”とも呼ばれています。
【3種のドローイング】
『⽇本』の図版は、(1)⽇本の書籍や画集から採ったもの、(2)シーボルトお抱え絵師 川原慶賀や画家デ・フィレニューフェが描いたもの、(3)シーボルト・コレクションの原物を、オランダの画家が描いたものの3つに分けられます。⽇本全般のことを調査研究した書籍ですが、図版にはシーボルトや川原慶賀がいた江⼾時代の⻑崎の情景や⾵物も多く含まれており、当時の⻑崎の様⼦を垣間⾒ることのできる著書にもなっています。
COLUMN
ジャパニーズ・ティーを世界へ
シーボルトは⽇本研究の⼀環で、古くから⽇本で親しまれているお茶に関⼼を寄せていました。
『⽇本』には、“⽇本茶”について詳細に記述されたページがあり、(1)茶の栽培と製法、(2)茶樹について、(3)⽇本の茶園の⼟壌に関する科学的研究の3点の本⽂とともに、川原慶賀の描いた図版が付されています。シーボルトはヨーロッパへの貿易資源として⽇本茶に着⽬し、インドネシアのジャワ島に⽇本茶の種⼦を運び、⼀度は多くの茶樹の栽培に成功しましたが、最終的に気候の不適応などの被害で事業に失敗しています。シーボルトの野望はついえましたが、その後、⽇本茶の茶樹よりも丈夫なアッサム茶に代えられて、ジャワは世界屈指の紅茶⽣産地へと発展しました。それから数⼗年後、奇しくも幕末には“⻑崎の⼥傑”と称えられる貿易商⼈ ⼤浦慶によって、九州⼀円から集められた⽇本茶の本格的な貿易事業が⼤成功し、巨万の富を⽣み出すこととなります。