第1章 ⽇本動物のシーボルト・コレクション
シーボルトは、傑出した植物学者にとどまらない。多種多様な⽇本動物を収集し、世界に発表するためのコレクションを作り上げる壮⼤なプロジェクトに⽣涯をかけた。
【⽤意周到! 動物標本作製をマスター】
シーボルトは、来⽇する前から動物学研究に意欲的で、オランダの王⽴⾃然史博物館(現:ナチュラリス⽣物多様性センター)の研究者から動物標本作製の⼿ほどきを受けていました。⽇本渡航の際、医薬品や⾝の回りの品とともに、動物標本作製のための防腐・防⾍剤や液漬け保存のためのアラック(インドネシアの酒)を2 樽⽤意したと⾔います。⽤意周到だったシーボルトは、来⽇3 ヶ⽉後には、早くも新種10種を含む⽇本動物学に関する研究論⽂を発表することとなります。
【⽇本動物標本のシーボルト・コレクション】
シーボルトの収集した動物標本は、続々とオランダの王⽴⾃然史博物館に送られました。記録によると⽇本滞在中にオランダに送った動物標本は、哺乳類を約200点、⿃類を約900点、⿂類を約750点、爬⾍類を約170 点、無脊椎動物を約5,000 点とされており、⽇本動物⼀⼤コレクションの礎となりました。シーボルトは、同じ種の動物でも成⻑の形態変化、地域間の変異、雌雄などの違いを意識し、同種でも複数の個体標本を細やかに収集しており、後の分類研究に⼤いに役⽴ちました。
【オオサンショウウオ、海を越えてヨーロッパへ】
動物標本のみならず、シーボルトは珍しい⽇本の動物を⽣きた状態でヨーロッパへ輸送することにも成功しました。江⼾参府の際に三重県鈴⿅付近で⼊⼿したオオサンショウウオは、シーボルトの帰国時にオランダのアムステルダム動物園へ持ち込まれ、51年間の⻑期にわたって飼育されたと⾔われています。そのほか、シーボルトが送った⽇本動物の⽣体は、タヌキ、ニホンザルといったものがあり、それら東洋の神秘の⽣き物は衝撃や奇異の⽬をもって、ヨーロッパに迎えられました。
◆⽇本動物を展覧する『⽇本動物誌(ファウナ・ヤポニカ)』
【⽇本動物の図鑑プロジェクト始動】
⽇本動物のシーボルト・コレクションは、オランダの王⽴⾃然史博物館において重要な位置を占めたことで、初の⽇本動物図鑑『⽇本動物誌(ファウナ・ヤポニカ)』を作製する博物館のチームプロジェクトへと発展します。哺乳類編、⿃類編、爬⾍類編、⿂類編、甲殻類編の全5編には、多くの新種が記載されました。有名な『⽇本植物誌(フローラ・ヤポニカ)』と同様、彩⾊図版であることが⼤きな特徴で、特に⿂類編の多くは、シーボルトお抱え絵師 川原慶賀の写⽣画をベースとしました。
【⼆⼈三脚のリサーチ! ビュルガーと川原慶賀】
シーボルト事件で帰国となったシーボルトは、後任の研究助⼿ビュルガーに⽇本動物調査の使命を託しました。⿂類に関しては、「⽇本には多数の⿂類がいる。私はかなりのものを集めたが、まだまだ収集する必要がある。⽣彩のある良い写⽣画が絶対に必要である。しかし私はトヨスケ(川原慶賀のこと)に多数の植物画を依頼していた。彼は⿂類にまでは⼿が回らなかった。とにかく、可能な限り慶賀に描かせなさい。慶賀は正確かつ鮮やかに⽣き⽣きとした写⽣画を描くはずである。」と助⾔書を残したことで、ビュルガーと川原慶賀による⼆⼈三脚の⽇本動物リサーチが始まります。
【ビュルガーの⽇本⿂類に関する報告】
ビュルガーは、熱⼼に収集した⿂類標本や⿂図のコレクションを本国へ送付する際、⿂類リストや科学的な報告を付しました。彼は薬剤師で、⽣物分類学者としての専⾨的な教育を受けていなかったので、その記述は⼀般的なものでした。しかし、その内容の多くが『⽇本動物誌』に利⽤されており、当時の⽇本⼈の漁業や⿂⾷の様⼦などが親しみやすく記されています。(第3章にて⼀部紹介)
COLUMN
⿂種⽇本⼀! ⻑崎かんぼこコレクション
⻑崎は漁獲量全国2位、⿂種の豊富さは全国1 位。ねり製品の⾃家消費も⽇本⼀で、かまぼこのことを“かんぼこ”と呼び、家庭の味として親しまれています。⻑崎かんぼこは、⼀般的な原料スケトウダラに限らず、⿂種によって味わいを変化させていることが⼤きな特徴。アジ、イワシ、エソ、トビウオ、アマダイ、タチウオ、ハモ、カナガシラ、グチなど……新鮮な刺⾝のように、それぞれの⿂の美味さをダイレクトに味わえるので、⻑崎かんぼこはコレクション性で楽しむのもオススメです。