第1章 ⻄洋園芸界を⼤変⾰する、植物のジャポニスム
ガーデニングを愛する⻄洋⼈たちが⼼躍らせたのは、まだ⾒ぬ東洋の美しい植物たち。シーボルトは、⽇本植物をヨーロッパで通信販売するビッグビジネスに乗り出す。
◆出島の三学者は、プラントハンター!?
【⻄洋で絶滅した、⽣きた化⽯「イチョウ」】
出島の三学者の⼀⼈ ケンペルは、1690〜1692年まで出島に滞在、⼆度の江⼾参府の機会に恵まれ、著書『廻国奇観』で多くの⽇本植物を世界に紹介しました。最も有名なものが、1億5千万年前から現存する⽣きた化⽯ イチョウ。ヨーロッパでは氷河期に絶滅した植物だったので、⻑崎の寺社で繁茂する巨⽊を⾒つけたとき、ケンペルは驚愕しました。彼が持ち帰ったイチョウの種はヨーロッパ中に広がって、時を超えた奇跡の復活を遂げるのです。
【ジャポニスムを巻き起こす、冬のバラ「ツバキ」】
次に来⽇したのは、同じく出島の三学者の⼀⼈ ツュンベリー。1775〜1776 年まで出島に滞在し、江⼾参府も含めて約800 種の植物を採取し、著作『⽇本植物誌』で多くの⽇本植物を世界に紹介しました。代表的なのは、学名「sasanqua」と和名を付したサザンカ(ツバキ科)。後にシーボルトもツバキ科の植物に着⽬します。ツバキは“冬のバラ”と称され、オペラ『椿姫』やシャネルのカメリア・シリーズが⽣まれるなど、⼀⼤⽇本ブーム ジャポニスムを巻き起こすきっかけとなります。
【⾬露にかがやく、恋物語の花「アジサイ」】
出島の三学者の最後の⼀⼈ シーボルトは、1823〜1829 年まで出島に滞在し、後に⼤作『⽇本植物誌』の発表や⽇本植物の通信販売によって、東洋の未知の植物を求める⻄洋園芸界を席巻します。シーボルトは、愛する妻 お滝さんを想い、美しくしとやかなアジサイに学名「otakusa(オタクサ)」と記しました。ヨーロッパに持ち込まれたアジサイは“東洋のバラ”と称され、品種改良で多様な⾊彩、豪華な⼿まり咲きとなる⻄洋アジサイが誕⽣し、世界中で愛されることとなります。
◆ビッグビジネス! ⽇本植物の通信販売
【⽇本植物で、ヨーロッパのガーデンを⼤変⾰!】
⼤航海時代、ヨーロッパでは園芸趣味が⼤流⾏。ケンペル、ツュンベリーによって、氷河期にヨーロッパで絶滅した植物も温帯に属する⽇本で⽣存し、未知の多種多様な植物と共存していることが明らかとなり、⽇本植物は⼤注⽬されていました。シーボルトはこの好機をとらえて、⽇本植物を輸⼊販売するための園芸振興協会とシーボルト商会、ヨーロッパの⾵⼟に植物を合わせる馴化植物園を設⽴し、実際に⽇本植物の通信販売を実現したことで、ヨーロッパのガーデンを⼤変⾰します。
【ボタニカル・アートの名作『⽇本植物誌(フローラ・ヤポニカ)】
科学的意義もありながら、⼀般の園芸愛好家に発信することも⼤きな⽬的として、眺めて楽しめるアートのような意味合いも持った豪華な彩⾊図譜『⽇本植物誌』は⽣まれます。⽣きた植物の素描画に基づく写実的で美しい図版150 枚が収められ、ボタニカル・アート全盛時代に出版された本書は、芸術性においてもトップクラスの著作として認められました。
COLUMN
オランダ船、幸せのクローバーを運ぶ
キャベツ、ジャガイモ、イチゴ、パイナップルなどの美味しい野菜・果物、ヒマワリ、チューリップ、カーネーションなどの⾊鮮やかな花々……今では⽇本で馴染み深い植物たちも、かつてはオランダ船でやってきました。幸せをもたらすクローバー(別名:シロツメクサ)も、オランダ船内のガラス製品を守るクッション材として詰められ、ヨーロッパから⻑崎・出島に伝来した⽇蘭貿易のストーリーを物語る植物なのです。