ながさきしひがしやまてでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく 長崎市東山手伝統的建造物群保存地区
国選定重要伝統的建造物群保存地区
日本は1858年、アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの5箇国と修好通商条約を結びました。東山手地区は、この条約によって設けられた長崎の開港場の旧居留地(きょりゅうち)のうち、大浦川(おおうらがわ)右岸の丘陵の一角にあります。
居留地とは、外国人の居住や生活のために指定された地区のことです。長崎では、出島より南側の海岸を埋立て、背後の丘陵を含めて造成され、1860年から貸し渡し、1899年の居留地制度の廃止まで続きました。
東山手の居留地は、大浦の商館と海を見下ろす高台に位置し、ポルトガル、アメリカの各国領事館や礼拝堂が建ち、当時は領事館の丘とも呼ばれていました。その後これらの跡地に、宣教師らによって建てられたミッション系の学校が増えて、現在にいたっています。
これらの居留地の建物と工作物などが一体となって歴史的な町並みを形成する範囲として丘陵の東山手の大部分と、海岸寄りの大浦町を一部含む区域を保存地区の範囲としています。
地区内の建造物は、桟瓦(さんがわら)葺き、外壁は下見板張(したみいたば)り(横長の板をすこしずつ重なり合うように張った外壁)にペンキで着色したものが多く、海の方向に開放的なベランダを付け、主要な部屋を配置しています。主要な建造物としては、国指定重要文化財の東山手十二番館、旧長崎英国領事館などがあります。
この他、オランダ坂の石畳の道と石垣や、石溝、石標類など、居留地時代を偲ばせる土木構造物や大きな樹木などが数多く残っています。
長崎市東山手の町並みは、居留地の地割を示す歴史的な町並みとともに、洋風住宅群をよく残しており、価値が高いものです。
- カテゴリー
- 近代化の先進地 「和・華・蘭」の歴史・文化
基本情報
指定区分 | 国選定重要伝統的建造物群保存地区 |
---|---|
指定年月日 | 平成3年4月30日 |
所在地 | 長崎市東山手、大浦町の一部約7.5ヘクタール |