長崎市には、海外との交流で生まれた独自の文化や習慣をはじめとする、長崎ならではの見どころがたくさん。
そんな、市民にとっては普通でも市外の人から見れば不思議な、長崎市ならではの魅力を知ってほしくて、写真展を開催することにしました。
市民目線の長崎を知って訪れれば、長崎市をもっと楽しめるはず。
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縦160m×横480mの島に5000人以上が住み、幼稚園、小中学校、病院のみならず、
お寺や神社、映画館やパチンコ屋さんまであった、島というより一つの町。
その町が当時のまま残された世界遺産が端島(はしま)、通称軍艦島。
日本初の高層鉄筋コンクリート造アパートが建ち並び、
鉱員は給料が高く、普及率10%の日本でほぼ100%テレビを保有。
炭鉱の最盛期にはニューヨークの15倍という世界一の人口密度でした。
観光船に乗り、島に上陸すれば、
今なお、かつての人々の暮らしが目に浮かぶ、あの頃のままの情景が広がっています。
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市内の坂本龍馬ゆかりの場所は風頭公園の銅像と日本初の商社、亀山社中が有名です。
社中のすぐそばにある若宮神社は幕末の志士とともに龍馬がよくお参りしたとされ、
ついに坂本龍馬神社が建立されて龍馬の御守りも手に入ります。
そこから坂の町らしい風景を眺めながら社中の人々が行き交った龍馬通りを下れば、
羽織袴にブーツを履いた写真を撮った上野彦馬の撮影局跡があります。
また、市中にはいろは丸事件で談判が開かれた聖福寺や最初に滞在した小曽根邸跡、
足を伸ばせば練習船や銃などを購入したグラバーが住んだ邸宅があります。
夜は龍馬も訪れた史跡料亭花月で龍馬がつけた柱の刀傷や直筆の嘆願書を見学。
せっかく来たなら、史跡めぐりも龍馬らしく「行動あるのみ」ですね。
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今は陸続きの神ノ島は、かつては船でしか行き来できない周囲1kmほどの島でした。
島の南端に長崎港に突き出した小さな岬があります。
離れた場所から見ると神社の鳥居が2つ、その先に4.6mの大きなマリア像が見えます。
でも岬へと向かい、鳥居のある階段を登ると、恵比寿様が鎮座しています。
鯛を抱える恵比寿様は古くから豊漁の神様として祀られ、
マリア像は1949年にフランシスコ=ザビエル渡来400周年を記念して立てられました。
まさしく「暮らしのそばに、ほら世界。」な二つの信仰の共演がここにあります。
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1879年、潜伏キリシタンが禁教時代の苦難を乗り越えた外海地区に赴任したド・ロ神父。
神父のもつ建築・医学・産業などの幅広い知識を活かし、
信徒のために私財を投じて出津と大野の2つの教会堂を建て、孤児院や助産院を設立。
やせた土地でも実る小麦の栽培法や製麺技術を伝え、織物や印刷などの産業を興して
教会を中心とした生活の場を整え、信徒の自立を支援しました。
そして神父の出身地であるフランス北西部、ヴォスロール村と外海の交流が始まり、
姉妹都市となった外海に誕生したのが、フランス国旗のカラーに染められた3本の橋。
それは、ド・ロ神父が贈ってくれたフランスとの架け橋です。
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長崎港が面する東シナ海は多くの回遊魚が集まるため「魚のゆりかご」といわれ、水揚げされる魚種は全国一の250種以上、水揚げ量は全国3位を誇ります。
グラバーの息子、倉場富三郎はたくさんの珍しい魚を見て、
長崎在住の5人の日本画家に総数801枚の魚の絵を描いてもらい、
魚の図鑑である魚類図譜を編纂したほど。
市内にある、見たことも聞いたこともない魚が食べられる居酒屋や料理店を訪れて、
どんな味がするのかを試すのも長崎市の楽しみです。
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長崎市民の足として市内の主要ルートを結ぶ市内電車。
どこまで行っても均一料金なので、旅の交通手段としても重宝します。
納涼ビール電車は、毎年7〜8月だけ運行される長崎の夏の風物詩。
冬には長崎おでんで暖まる、おでん電車も運行されます。
普段はお酒を楽しみながら通ることのできない道の真ん中を、
ぐるりと一周、1時間半かけてゆっくりと走ります。
市内電車から見える景色は、長崎らしさそのものです。
納涼ビール電車 7〜8月/おでん電車 2〜3月
(※完全予約制)
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古くから、中国で不老長寿の果実として尊ばれていた桃。
長崎で三月三日のひな祭りの日に初節句のお祝いのお返し(いわゆる内祝い)
として贈るのが「桃カステラ」です。
今では女の子自身の長寿や健康を祝って桃の節句である雛祭りに食べたり、
結婚や出産といっためでたい日にも贈られています。
上に乗るのは砂糖細工の桃、下はその甘さを考慮した甘さ控えめのカステラ生地。
東洋のめでたさを、西洋のおいしさで支える長崎らしさ全開の一品は、
お土産にしてもとってもめでたいものですよ。
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長崎では凧(たこ)のことを、ハタと呼びます。
でも、他の地域と異なるのは名前だけではありません。
ハタを自在に操って合戦をしかけ、自分のハタの糸で相手の糸を切って落とすのです。
落とされたハタは、最初に拾えば次の持ち主というのがルール。
以前は糸が切られたハタを目がけて、子供たちが殺到していました。
オランダ船に乗ってインドネシアから伝わってきたと言われるハタは、
赤青白の3色で美しい模様が描かれ、大きさも選べる飾りハタはお土産としても人気。
ハタ揚げ大会は4月〜5月上旬に、普段はハタ揚げ教室もあって誰でも楽しめます。
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長崎港のように「天然の良港」と呼ばれる港の多くは、
海のそばまで山が迫っているため、陸のすぐそばまで海が深く、
大きな船でも座礁の心配なく入港できます。
でも、栄えるにつれ、港には人が集まります。
街や工場をつくる平地が足りず、港はどんどん埋められていきました。
16世紀後半に港が開かれる前は、現在の長崎港ターミナルから約3km、
今の平和公園がある辺りまで海でした。
出島を訪れると「海に面してないよね?」と誰もが思うでしょう。
長崎港を見下ろす風頭山、稲佐山、鍋冠山の展望台から夜景を眺めれば、
海のそばまで街灯で埋め尽くされていることに気づくでしょう。
それは長崎市が、港とともに発展した証なのです。
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海老なのに、ちょっと平らで不恰好(失礼)。
かつてはヒラメ漁の網に掛かっても、なじみがないからと市場には出されず、
地元の人が食べるか、海に戻していたそう。
しかも、どこに住んでいるか生態がつかめず、漁も不安定。
それでも、伊勢海老に負けないぷりっぷりの食感と甘みを
多くの人に体験してもらうべく、近年、本格的な漁がスタートしました。
現在は長崎県内の各地でうちわ海老が水揚げされていますが、
地域によって漁期が定められ、漁獲量をコントロール。
希少価値が高いので、取り扱いのある飲食店でもお目にかかれたらラッキー。
お店で見つけたら、迷わず注文するといいですよ。
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2021年の自転車産業振興協会の調査によると、
長崎の1世帯あたりの自転車保有台数は0.38台。
全国平均1.03台に対し、圧倒的最下位を記録し続けています。
「坂のまち」と呼ばれるほど平坦な場所が少ないため、
街中でほとんど自転車を見かけません。
それどころか、自転車に乗れない市民がいると噂になるほど。
自転車屋さんを名乗る個人店を訪れると、
販売しているのがほとんどバイクというのもうなずけます。
それでもエコツーリズムの時代となり、e-bikeのレンタル店も登場。
e-bikeツアーの途中に、自転車屋さんを覗いてみるのも楽しいですよ。
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長崎のお墓にまつわる風習は独特。
まず墓石の文字が金色。
墓前に供えるのは長い竹製のお線香「竹線香」。
お盆のお墓参りは夕方から夜にかけて行い、墓前で花火をします。
それも「矢火矢(やびや)」と呼ばれるロケット花火。
さらには故人を偲んで墓前でお酒を酌み交わす。
すべて中国から伝わった、故人に対する風習です。
先祖の霊を光で導き、音で邪気を払い、賑やかにともに過ごす。
そんな意味があるそうです。
観光では立ち寄りづらい場所ですが、近くを通ったら気にしてみてください。
墓前には、家族が過ごすちょっとしたスペースがあるのに気づきますよ。
長崎市では、夏だけではなく、一年中花火が売られています。
それどころか、爆竹が公然と売られ、
3万円以上も「大人買い」する人たちも。
中国文化の影響を受けた長崎では、お墓参りや精霊流しで
花火を行い、爆竹を炸裂させる風習があるからです。
これ、どんな色で、どんな形になるんだろう。
子どもたちは、花火を1本ずつ手に取ります。
花火屋さんがある長崎では、花火は選ぶ楽しみから始まります。
お盆に迎えた先祖の御霊を送るために行われる精霊流しは、
一般的に霊の乗り物である小さな舟を川や海に流して送る、
しめやかな行事です。
ところが長崎の精霊流しは、町中に爆竹が鳴り響きます。
お墓参りの時に花火をしたり爆竹を鳴らす習慣がある唐人文化の
影響を受けた長崎では、 魔除けの意味を込めて爆竹を鳴らしながら、
故人の趣味などに基づいて飾られた精霊船とともに
初盆を迎えた家族が街中を練り歩きます。
見物には、耳栓のご用意をお忘れなく。
毎年 8月15日
鍛冶場で真っ赤に熱した鉄のような色をした
赤身のまぐろを材料にしたから
名付けられたとも言われる鉄火巻き。
長崎市では、そんな名前に矛盾する白鉄火巻きが存在します。
材料は白身のハマチやブリ、ヒラス(ヒラマサ)。
海に囲まれた長崎は新鮮なお魚が豊かで、
身が締まった食感はプリプリ、コリコリ。
ねっとりとした食感のマグロに新鮮さを
感じなかったからと言われています。
長崎に来たら、ちょっと不思議な白鉄火巻きをごひいきに。
1945年8月9日午前11時02分。
広島への原爆投下から3日後、
この平和祈念像から約500m南側の上空で原子爆弾が炸裂。
約15万人もの人々が死傷しました。
平和祈念像は、長崎出身の彫刻家、北村西望氏によって制作されました。
天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、
軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いが込められています。
原爆資料館では、被爆の惨状だけでなく、投下の経緯、
核兵器開発の歴史、そして核兵器のない平和希求が展示されています。
原爆資料館に入ると書いてある言葉「長崎を最後の被爆地に」。
その願いを込めて、その日、その時、市民は黙祷を捧げます。
私たちは今もなお、
人間が起こす戦争という悲劇に向き合う時間が必要です。
端まで行ける設計になっている長崎駅のプラットフォームを
歩いて行くと、潮風を感じます。
眼前に広がるのは、長崎市の歴史を作ってきた長崎港。
そして振り向けば、新幹線が停車したまま。
数少ない新幹線の終着駅、
長崎駅は新幹線が次の発車時刻まで滞在します。
つまりここは、西九州新幹線「かもめ」をゆっくりと
撮影できるフォトスポット。
駅に降り立った瞬間から、長崎の旅が始まります。
長崎市にはおいしいおにぎり屋さんが根付いています。
お昼に定食として提供したり、テイクアウト専門だったり。
珍しいのは、〆のおにぎり。
呑んだ後におにぎりなんて、もうお腹いっぱいで食べられない。
そう思っていても、中には30種類も揃えている店もある
おにぎりを選んでいると、つい3個くらい頼んでしまいます。
ついでにおつまみも頼んで、結局お酒も頼んで、はしご酒になっている。
それもまた長崎らしさです。
毎年7月最後の土日に開催される、長崎ペーロン選手権大会。
5-6年に一度は新調される舟の材質は杉で、長さは約14メートル。
この日のために練習を積んだ26名以内の漕ぎ手が太鼓とドラを響かせて、
往復1,150mを競漕します。
在留唐人たちによって初めて長崎港で行われたのは1655年。
江戸時代には町対抗で競漕を行う現在の大会の原型ができましたが、
あまりの熱狂で揉め事が絶えず、禁止令が出されたほど。
職域の部、中学生の部、女性の部が行われる土曜日と、
6月から各地で行われる地区大会を勝ち抜いた
各地区の選抜チームがNo.1を決める日曜日は
朝から夕方までペーロン一色。
観るのもいいけど乗ってみたいあなたには、
大会中に体験ペーロンがありますよ。
毎年 7月最終土・日曜(6月から市内各地で地区大会)
市街地から国道202号線を北へ向かうと、
やがて外海(そとめ)という、
禁教時代にキリスト教徒が潜伏していた集落に到着します。
外海は文字通り、外に海を臨む海岸線が続きます。
考えてみれば日本の最も西に位置する長崎は、
海に夕日が落ちる絶景スポットの連続。
遠藤周作の小説「沈黙」の舞台となったこの地で、
禁教時代以前に長崎市と同じくヨーロッパの最西端、
ポルトガルから来た宣教師も、
故郷の夕日を重ね合わせたことでしょう。
長崎市内には、たくさんの石碑が建っています。
屋敷の跡地などはもちろんですが、
「○○発祥の地」という碑が多いのです。
貿易が盛んだった長崎では、国外からもたらされたものが多く、
正確に言えば「伝来の地」というモノも含め、「日本初」であふれています。
じゃがいも、たまねぎ、スイカ、コーヒーといった食べものから、
ビリヤード、缶詰、写真機、じゃんけん、
コンクリート住宅、電話にラクダまで。
さまざまなものが上陸した長崎で、
初モノを探してみるのも観光の楽しみです。
地元の人が親しみを込めてチンチン電車と呼ぶ市内電車。
大浦支線を終点で降り、北側に向かうと坂が始まります。
明治時代に作られた洋館が点在するオランダ坂通りを歩く。
その隣に現れるのは、朱色の柱、黄色の屋根の孔子廟。
西洋の淡い色使いと対極をなすような、
主張の強い東洋の美です。
この街をつくったのは、
すべてを受け入れる長崎市民の寛容さなのです。
長崎くんちでは、その年に奉納踊を披露する当番の町を踊町と言い、
7年に1度、主役となる当番年だけに披露される
特別な演し物(だしもの)があります。
長崎くんちの写真としてよく見る、中国文化を取り入れた演し物、
龍踊り(じゃおどり)が、踊られない年だってあるのです。
練習が始まる6月から、本番に向けて仕上げの時期を迎える9月、
そして10月の本番まで、毎年が7年に1度しか見られない長崎です。
毎年10月7日-9日(本番)練習風景見物 6月〜9月
港の周囲を山で囲まれている長崎市は、造船業が盛んになるにつれ、
人口増加によって山の上へ上へと住宅が増えて行きました。
道路もまた、山の上へと伸びて行きました。
しかしながら、多くの住宅が建つ斜面に
新しい道路を作ることは難しく、
今も乗用車がすれ違うのがやっとの、狭く、曲がりくねった道が日常。
そんな道を大型の路線バスが当然のように行き交います。
「長崎はバスの運転がうまい」と言われるのは、
この道に鍛えられたおかげです。
もはや芸術に近い大きなランタンオブジェをはじめとして、
約15,000個のランタンが市内を彩る冬の長崎は街中がフォトスポット。
毎年100万人以上が訪れるフェスティバルでは、ランタンだけでなく、
中国衣装をまとった「皇帝パレード」や二胡の演奏、変面、中国雑伎など、
中国の人から見ても現代の中国にはない、古き良き中国らしさが残ります。
子どもが楽しめる手作りランタン体験や、
願いが叶うと言われるロウソク祈願四堂巡りも人気。
熱々の、角煮まん、ハトシ、マーラーカオも楽しみの一つです。
毎年旧暦の1月1日~1月15日
市の中心部から東へ10キロちょっと。
戸石町は長崎市を代表する漁港の一つがあり、養殖業が盛んです。
とらふぐ、かき、鯛、しまあじなどが養殖され、
全国各地へと出荷されます。
毎年11月末から行われる、戸石とらふぐ・かき祭りは、
歯ごたえ十分のとらふぐと、ぷりっぷりのかきを堪能できるチャンス。
驚くのはその価格。都心の高級店で食べたらウン万円はすると思われる
クオリティの料理が、信じられないような値段で楽しめるのです。
戸石で食べたら、もう他の場所には戻れません。
毎年 11月末〜12月半ば
(かき焼きは3月末頃までの毎週土日祝日に開催)
日本に生息する猫のしっぽの形は、
古来から、真っ直ぐ長いのが一般的です。
でも長崎にいる猫の約8割は先端が
曲がっているか、短いか、お団子のような形。
長崎で「尾曲がり猫」と呼ばれる猫は、
特にインドネシアに多く生息しています。
江戸時代、ヨーロッパとの貿易を担う東インド会社の
アジア支店があったのがインドネシア。
当時の船は木造で、積荷を食べたり、
船体をかじったりするネズミを駆除するために
船に乗せていた猫が、日本に住みついたと考えられています。
長崎市は文化や人だけでなく、猫まで世界から訪れていたんですね。
旅の途中で猫に会ったら、しっぽに注目です。
2022年で御年113歳。
高さ62m、アーム部の長さ75mの巨大クレーンは、
1909年の竣工後、戦火に見舞われ、
日々海風にさらされる過酷な環境下でも、今なお現役。
三菱重工業長崎造船所内で製造される大型のタービンなどを
船に積み込むために、月に10日ほど稼働しています。
その姿は輸出したスコットランドが賞賛するほど歴史的にも貴重な存在。
安全上陸上からは非公開ですが、
グラバー園や軍艦島クルーズ、遊覧船の船上から、
長崎の近代工業を支え続けるその勇壮な姿を近くで眺めることができます。
19世紀に、Dinosaurと名付けられたこの生物を、
龍になぞらえて日本語訳したのは、
長崎出身の古生物学者、横山又次郎でした。
それから120年余り。
野母崎にある長崎市恐竜博物館には、
オランダにある世界最大級のティラノサウルスの化石を
忠実に複製した全身骨格標本レプリカが
世界で唯一、展示されています。
世界新三大夜景に認定されている、長崎市の夜景。
周囲を山に囲まれているため、
いろんな場所から眺められます。
女神大橋の向こうの島々に落ちる夕日を眺めるなら鍋冠山。
港を中心とした長崎市の全景を見渡すなら稲佐山。
街の光を中心に、春には夜桜もいっしょに楽しめる風頭公園。
お好みに合わせて選ぶのもいいけれど、
せっかく来たならすべて登って見比べるのもいいですよ。
名前にトルコとついていますが、
トルコライスはトルコ料理ではありません。
その由来には諸説あるのですが、
中華のピラフ、和食のとんかつ、洋食のスパゲッティが
1つのお皿に盛られていることから、東西文化の交わるトルコのようだと、
トルコライスの名がついたと言われています。
さまざまな文化が交わってできた長崎の名物料理になったのは
偶然ではないのかもしれませんね。
坂の多い長崎市では、坂の上にある学校などに通うために、
市民はバスを利用します。
けれども帰りは下り坂なので、歩いて帰るのは楽ちんです。
そこでできたのが片道バス定期券。
つらい上り坂はバスで。下りの帰り道は歩いて。
長崎市民ならではの暮らしかたです。
江戸時代の終わり。
代官屋敷で働いていた三浦シヲという女性が、
唐人(もしくは唐通事〔中国語通訳〕)からもらった1粒のびわの種。
自宅の庭にまいたところ、長崎の海に囲まれた温暖な気候が幸いし、
実った果実は大きく、おいしさもすぐれていました。
長崎は今では全国の生産量の30%以上を占める「びわ王国」。
近年、より甘く、実の大きい新たな品種も加わって
日本中に出荷されています。
長崎土産はカステラもいいですが、
長崎通はびわゼリーを選ぶんですよ。
バスや車で、市内から国道499号線を海岸線に沿って南西へと走る。
軍艦島がまさしく軍艦のような姿に見えてくる頃、
小さな島が現れます。
恐竜博物館の沖に浮かぶ田ノ子島は、
大潮の干潮時には陸続きになる小島です。
その珍しさから、二人で渡ると想いが叶う、縁結びの島として知られています。
海の水が残ってできた潮だまりに残された小魚やウニと戯れたり、
おいしい海鮮を食べたりしているうちに、見事な夕日が海に落ちていく。
海に囲まれてゆったりと過ごす時間は、
けれどもあっという間に過ぎていきます。
眼鏡橋の隣には、橋を設計した中国の人の銅像が立っています。
めがね橋は、当時の日本人にはまだできなかった
最先端技術で造られた日本初のアーチ式石橋です。
有名なのは、川面に映るめがね姿だけが理由ではないのです。
中島川には17世紀以降、17〜18の石橋がかけられました。
めがね橋から川沿いを上流へ歩けば、今もたくさんの石橋に出会えます。
どこへ行っても同じチェーン店ばかりを
見かけるようになった世の中で、
長崎市はまだまだ個性豊かな個人店が多く存在しています。
それは、ちゃんぽん、皿うどんを初めとする
郷土料理だけではありません。
表では鮮魚を売っているのに、奥に入ると定食を食べられる魚屋。
種類も豊富でとっても新鮮なのに信じられない安さの回転寿司。
座ればお店の人や隣のお客さんが話しかけてくれる気さくな居酒屋。
地元の人たちが通うお店にこそ、長崎の食の神髄があります。
ひと口に長崎市と言ってもそのエリアは広く、長崎市民が日常的に楽しんでいる「ふつう」は深い。
長崎と聞いて思い浮かぶ代表的な観光地の他に、多彩な魅力がそろう長崎市の「ふつう」を加えれば、1日では遊び尽くせません。
長崎の「ふつう」に出会う旅MAPで、あなたの知らない長崎へでかけましょう。
外海・琴海エリア
中心市街地エリア
茂木・戸石エリア
伊王島・野母崎エリア